
前回突然伯父の遠距離介護がはじまったコラムの続きです。
脳梗塞による入院とリハビリを乗り越え、少しずつ自宅での生活を取り戻し始めた一人暮らしの伯父。 週2回のデイサービスや配食サービスを利用しながら、私たち家族も遠距離から見守りを続けていました。
一時は「これでひと安心かな」と胸をなでおろしていた私ですが、ほどなくして、これまでとは違う「小さな違和感」が顔をのぞかせるようになったのです。
1. 何度も繰り返される「同じ質問」
最初の異変は、月に一度の通院に付き添ったときのことでした。 病院へ出発する前、伯父から「俺の保険証はどこだ?」と聞かれ、「おじさん、さっき自分でお財布にしまったでしょ」と声をかけました。
しかし、病院に到着して受付をしようとすると、また「俺の保険証はどこだ?」。 無事に会計を済ませた後にも「俺の保険証はどこだ?」。 家に帰ってからも「俺の保険証はどこだ?」……。
あまりにも頻度が多いため、「もしかして、少し認知の症状が出てきたのかな」と不安がよぎりました。その不安を裏付けるように、会うたびに「通帳が見当たらない」「薬がもうなくなった(1ヶ月分処方されているのを確認しているのに)」という訴えが増えていったのです。
2. 遠距離ならではの「工夫」と、伯父の回復
離れて暮らしている分、私がそばにいられない時でも伯父が困らないよう、いくつかの対策を試みることにしました。
- 目印のシール: 伯父がいつも書類をしまっている引き出しに「大事なもの・保険証など」と書いた大きめのシールを貼る。
- お薬カレンダー: 飲み忘れや重複を防ぐため、目につきやすい壁に薬局でもらった「お薬カレンダー」をセットする。
幸い、通所リハビリの手厚いサポートのおかげで、伯父の足腰は家の中を移動するには全く問題がないほどに回復していきました。
これに伴い、介護認定が「要介護2」から「要支援2」へと区分変更に。状態が良くなったため、通所リハビリやベッドなどのレンタルサービスはいったん終了することになりました。ただ、毎日の布団の上げ下ろしは腰に負担がかかりそうだったため、弟と相談し、ベッドは私たちが新しく購入してプレゼントすることにしました。
日中のお昼ご飯は配食のお弁当を利用し、お買い物は近くのスーパーのネットスーパーを私が代理で手配することで、伯父の日常は落ち着きを取り戻したかのように見えました。
3. 鳴り止まない電話と「もの忘れ」の深刻化
少し手が離れてホッとしたのも束の間、介護に「終わり」はないのだと痛感する日々が始まります。 あの「俺の〇〇はどこだ?」という確認が日に日に増え、私の携帯電話に毎日のようにかかってくるようになったのです。
仕事中でどうしても電話に出られない日、ふと画面を見ると5件以上もの着信履歴が残っていることもありました。仕事で疲れている夜などは、つい心が折れそうになり、 「私、知らないよ!いつも決めた引き出しにしまうように言ったじゃない!」 と、強い口調で返してしまう日もありました。
以前は病院へ行く日、きちんと準備をして待ってくれていた伯父ですが、次第に私がいざ迎えに行くと、出かける直前になって「財布がない」「保険証がない」と大騒動になるのがお決まりのパターンになっていきました。
4. 「お前が持っていったのか?」という言葉の衝撃
一番大変だったのは、一緒に決めた「大事なもの置き場」にそれらがない時でした。 本人が心配になって別の場所に移動させるのですが、その移動させたこと自体を忘れてしまうのです。
ベッドの周り、仏壇の引き出し、カバンの中……部屋中を大捜索した末に、ようやくカバンの奥から財布が見つかりました。 「おじさん、カバンの中に入っていたよ」 安堵して声をかけると、伯父は怪訝な顔をしてこう言ったのです。
「それは……お前が持って帰っていたんじゃないのか?」
最初、私はわけが分からず、「私じゃないよ!伯父さんのカバンに入っていたんだから、自分で入れたんだよ」と、必死に否定しました。あらぬ疑いをかけられた悲しさと悔しさで、胸が締め付けられる思いでした。
こうした度重なる物忘れや、隠した場所を忘れて周囲を疑ってしまう行動が、実は認知症の代表的な初期症状(物取られ妄想など)の一種であると私が知るまでには、まだもう少し時間がかかるのでした。
(続く)


